パリ詩集2005.10.1Belleville この名前はどこからきたのか 目にするのは中国語、そして酒におぼれる浮浪者 美しい町 これもまた、巴里 La Nuit Blanche 静寂を突き破る ダブを背に わたしはカルーセルにのる ストリップを真似る女子たち 馬の上にて 夜になっているのに 夜になっていないふりをする 人工的な白夜にいる 無数の人々 Cirque d’hiver もう冬をむかえる街に ひとのいないサーカス場 疲れを語るのは。 この疲れは、だれでもが感じる 心地好さと とてつもなく危険な 説明はない。 彼女のいうことの 半分もわかるだろうか わたしは こんなにも自由で そして不自由だ パリにいることに どことなく懐かしさを感じる ここから生まれたのは パリに生まれたものだけではない サンミッシェルで 古本をさがし つまらない本に愛想笑いをする カップルの片方 つまらなさを 隠すのは 日本人のほうが得意 いつもの道を いつものスピードで 歩くだろうか それとも いつもの道を そういうつもりでなく 歩くだろうか わたしがいるのは ここであり いまいるこの地点に そこにしか存在しないことに いつのまにか 気付いている それは若さとか (もしくは若気の至りとか) そういうもの かもしれないけど それでも わたしは ここにいる 隣の部屋のテレビの音 その後の、いびきの音 どちらも ちょっとした幸せを運ぶ 平和な一日の おわり。 否。 ? 日本人であることに なんの不満を感じよう そこには 豊かさと それに対する不満をいう 幸福な欠如しかない フィトウがあまくなる 一時間半 わたしはいとしい人のことと いとしい町のことと だいすきなパンのことをかんがえる 下北沢にあって ここにないもの。 (ここというのは、パリの一部。) やさしさと せつなさは どちらにも 存在する |